夏のアッシュビル、グレート・スモーキー・マウンテン国立公園
夏休みを利用して日本から遊びに来てくれた友人たちと
2泊3日でノースカロライナの西の山のほうへ行ってきました。
「食いしん坊紀行@北海道」の写真を送ってくれた
ぶひぶひ氏とぶうぶ嬢です。
「有朋自遠方来、不亦楽也」
ブルーリッジ・パークウェイ(Blueridge Pkwy)というのは
アパラチア山脈(Apalatian Mts.)に沿うように
北はシャーロッツビル(Charlottesville)に程近いウェインズボロ(Weynesboro)から
南はグレート・スモーキー・マウンテン国立公園まで走る
全長469マイル(約750キロ)の道路です。
この道路は、北端のウェインズボロからスカイライン・ドライブ(Skyline Drive)と名前を変え
シェナンドー(Shenandoah)国立公園を経てさらに北に走り
ワシントンDCの近くまで行きます。
そう、あの有名な歌「カントリー・ロード」に出てくる世界です。
紅葉の名所として有名で、この時期の様子はわかりませんでしたが
とりあえず、立ち寄ってみることにしました。
今回走ったのは、US-321を北上したブローイング・ロック(Blowing Rock)のあたりから、クラブツリー・ミドウ(Crubtree Meadows)までの40マイルくらいです。何の予備知識もなしに来てしまったため、ただウロウロするだけに終わってしまいました。
ブローイング・ロックのあたりはひらけていて、パークウェイをいったん出たUS-221沿いには、洒落たお店がたくさん並んでいました。横目に見ながら右折してパークウェイに入ってしまったので、よく様子はわかりませんが、ぱっと見た感じでは、軽井沢のようでした。少なくとも、ダーラムよりにぎやかで垢抜けています。う〜む、ここでランチにすべきだったか。
一面、緑の山なみ。
リンビル滝(Linville Falls)ビジターセンターから
滝の近くまで少し山道を歩きました(Erwins View Trail)。
ほんの少し前に雨が降ったようで、ところどころのぬかるみを避けて歩きます。
トレイルの脇にはシャクナゲの木がいっぱい。
初夏にはさぞかし美しく飾られていることでしょう。
いちど遠ざかった水音が また近づいてきました。 展望台からの眺め。 |
ここからだと隠れてしまって全容が見えません。
対岸の崖の上の方に回ると全部見えるようです(Chimney View)。
この展望台の下から滝を見上げることもできるようです(Gorge View Overlook)。
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グレート・スモーキー・マウンテン国立公園の南側のふもとに
チェロキー族の居留地があります。
ここで、毎年夏の間だけ行われる野外劇
"Unto These Hills"を観てきました。
滝の上部半島
北米大陸に入植してきたヨーロッパ人と、先住民(ネイティブ・アメリカン)。1830年(ジョンソン大統領)の悪法「インディアン強制移住法(Indian Removal Act)」にもとづいて、ミシシッピ川より東の5つの部族が自分たちの「国」から排除されます。
グレート・スモーキー・マウンテン国立公園のふもとなどに住むチェロキー族たちも、1938年の秋に不毛の地オクラホマに移住することを強制されました。5ヶ月の移動の間に、一説には1万4000人のうちの4000人以上が亡くなったとも言われています。この、オクラホマへの1200マイルの道のりは「涙の道(Trail of Tears)」と呼ばれています。
この野外劇は、1540年のスペイン人との出会いで幕を開け、おもに1810年代から40年代まで、つまり先住民たちの平和に暗雲が立ちこめ、強制移住法によって土地を追われてから、もういちど自分たちの土地に戻るまでが、お芝居と踊りで表現されます。この間に、先住民同士の争い、平和をのぞむ酋長たち、アメリカ合衆国との間にかわされた条約の一方的破棄、そして、わずかな金銭とひきかえに自分たちのすみかを追われる先住民たちの姿が描かれます。
感想や詳しい情報などは、別ページにアップする予定。今シーズンの上演はもう終わっちゃっているので、ゆっくりいきます。
開演前に30分ちょっと、前座のショーがあります。
舞台の様子はこんな感じ。
緑の中でだんだん暮れていく舞台はなかなか雰囲気があります。
そして、開演。
フラッシュをたかずに撮った写真なので、どれもぶれていますが
雰囲気だけでもどうぞ。
1540年 スペイン人との出会い |
時は移って19世紀初頭。
武力による解決か 平和的解決か |
悲しみ | また、悲しみ |
そして・・・
ふたたび、春。
旅のメモに書いたように、宿をとったアッシュビルからの往復になりました。
単純な距離の計算でいうと、これは
名古屋に泊まって浜名湖まで東名と山道で往復するようなものです。
夜の運転はけっこうこたえました。あ〜しんど。
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ナイアガラ·フォールズゴルフ
ビルトモア・エステート(Biltmore Estate)は、アメリカ最大の個人邸宅です。
広さは8000エーカー(32.38平方キロ)。
つまり、板橋区(32.17)や杉並区(34.02)や
名古屋の中川区(32.01)や守山区(33.99)くらいの広さがあるということです。
ひょえ〜。
ここまで聞いたら、敷地内を高速道路(I-40)が走っているくらいでは
もう、驚いたりしませんよね。
I-40の北側のほうにある入り口から入ります。
入り口からお屋敷までは3マイル(約5キロ)!
しばらく走ってやっと到着です。
これが、ビルトモア・ハウス。
どや!
こういうのを「ハウス」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。
ワタクシ的には「お城」だと強く主張したい。
この大邸宅は、ジョージ・バンダービルトが建てたもので
現在で� �バンダービルト一族が所有しています。
中には250以上の部屋があり、来客用の寝室もいっぱい。
このお屋敷が建てられた1895年には
多くの家にはバスルームなどなかったのに
このビルトモア・ハウスには、43ものバスルームがあったそうです。
このほか、ボーリング場、プール、フィットネス・ジムに立派な更衣室に
よくわからないけれど独身男性用のウィングもあったり
使用人関係では、ウォーク・インの冷蔵庫とか広〜い洗濯物の乾燥室とか。
中は撮影禁止なので残念ですが写真で紹介できませんが
イロイロ想像してみてくださいね。
ちなみに夫婦の寝室は、夫のものも妻のものも
過剰装飾でちょっと趣味悪い感じ。
2階の居間にはなぜか麻雀の卓があって
手前の人が� �緑一色(リューイーソー)」であがったことになっていました。
日本語のパンフレットもあるので、入り口のカウンターで聞いてみてね。
入り口の両脇には1対のライオンの像。
「おら、飲まんか、コラ!」 | や〜ん |
ひ、ひどい・・・。
こういう恥ずかしい日本人観光客とは
かかわらないほうがいいと思います。
お屋敷見学で時間をつぶした後は
オープンの時刻を待ちかねたようにワイナリーに向かいました。
その距離5マイル!
この日は日曜日だったので正午オープンです(ふだんは11時)。
製造工程を少々見学して、いよいよテイスティング。
追加料金なしでテイスティングさせてくれるのは16種類。
シャトー・リザーブとスパークリング・ワインは追加料金が必要。
リストと鉛筆を渡してくれるので、ちょっと味わってはメモ、メモ。
私たちのようなシロウトでも、飲み比べると味の違いや自分の好みがわかります。
ただの酔っぱらい集団になった後、併設のレストラ� �<ザ・ビストロ>で遅い昼食。
とくに前菜がおいしかったです。
前菜にメインをつけると、日本人にはかなりのボリュームです。
デザートはかたく辞退するつもりでしたが
「説明だけでも」と聞いているうちになぜか注文。
リバーフォールズのゴルフコースサウスカロライナ州
お会計の時には、20%のチップのサゼスチョンがありました。
別にこの通り払う必要はないのですが
サゼスチョンをされてしまうと「Noと言えない日本人」なのでした。くぅ。
仕上げに、併設のショップでお買い物。
せっかくだからと6本も買ったのですが、実はここのワイン、
ダーラムのスーパーで大半が手に入ります。しかもそのほうが安い!
価格の比較をしましたので、よかったらこちらをご一読ください。
ビルトモア・エステートには、このほか、庭園やホテルもあります。
とにかく園内が広くて
遭難者が出てもおかしくない雰囲気です。
遭難? 個人の邸宅で? そ う・・・なん?
クリスマスのシーズンは、きれいに飾り付けがされて
それは、それは、美しいんだそうです。
その時期は入場料も値上がりするのですが
もういちど、今度は園内に泊まってゼイタクしたいな〜なんて♪
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グレート・スモーキー・マウンテン(Great Smoky Mountains)国立公園は
ノースカロライナ州とテネシー州にまたがっています。
広さは52万エーカーあまり(約2100平方キロ)で
東京都よりもちょっと狭いくらいです。
年間の来園者数が全米一で(2002会計年度は約922万人)
2位のヨセミテ(同、約331万人)と比べてもその人気がわかります。
「スモーキー」の名前は、植物の出す水蒸気と炭化水素で
山々にもやがかかったようになることに由来します。
日本人にとっては当たり前の風景ですね。
「グレート」のほうは1934年に国立公園になるときに
あとから付けたんだとか。
公園の北側(テネシー側)からアプローチ。
ここもクマが出るそうで、あちこちに「クマ注意」の掲示やパンフ。
我が家にも クマは出没します。 「勝負だ!」 |
ケイズ・コーブに向かう道路は
リトル川(Little River)に沿って走っています。
釣り人のぶひぶひ氏には、他の人とは川の見え方も違うはず。
お魚は、泡立っているところの近くの静かなところにいることが多いんだそうです。
そこで、虫が流れてくるのを待っているって。なるほど。
で、本題に戻ると、ケイズ・コーブ(Cades Cove)というのは、19世紀に作られた入植者の集落です。
1819年まで、ここはチェロキー・インディアンの土地で、「カワウソのいる場所」を意味するツィヤヒ(Tsiyahi)と呼ばれていました。この年にチェロキーたちは条約にもとづき、この谷間の地域を入植者にも開放したようです。1850年頃には、680人以上がここに住んでいたそうです。
民家やたくさんの教会、水車小屋や納屋など、当時の建物が残っています。これを全部見学しようと思ったら、半日以上は時間をみておいたほうがよさそうです。
ジョン・オリバーという人物が息子のために建てた家。
原始バプテスト派の教会。
中はガランとしていて、山の学校の教室みたいです。
広がる草原と、白く霞む山なみ。
(初めての、パノラマ合成写真の試みです!)
ケーブル・ミル広場(Cable Mill Area)
点在していた建物がここに集められています。
さながら野外歴史博物館。
水車小屋に続く水路 | この水車小屋だけは |
売店のホットドッグやハンバーガーで昼食。
ケイズ・コーブをぐるっと回って、出口に近いあたりにあります。
デザート付き。
かなり、バカです。
こっちは、シカです。
公園内を南北に走るUS-441でノースカロライナ側へ。
州境は、公園を東西(正確には北東から南西)に横切る
アパラチアン・トレイル(Appalachian Trail)とほぼ重なっています。
ニューファウンド・ギャップ(Newfound Gap)でちょっと休憩。
このあたりが州境 グレートでスモーキー? |
US-441から横道にそれて、クリングマンス・ドーム(Clingmans Dome)へ。
駐車場から、舗装された遊歩道をひたすら登ります。
歩き始めてすぐに息が切れました。
空気が薄いのか、ただの運動不足なのか。
ずっと、ず〜っと歩いて行くと・・・。
正面の通路を歩いて行くと、スロープが右にぐる〜っと回って
この灯台みたいな展望台に上がれるしかけ。
しかし、どうして山のてっぺんにこんなものを・・・。
何を考えているのか、アメリカ人。
見晴らしはいいです。
心配なのは、大気汚染と虫害で木の立ち枯れが進んでいること。
このあたり、標高がいちばん高いので
影響を受けやすいのでしょうか。
今回は、森の中のトレイルを歩いたりできなかったので
また季節を改めて行ってみようかな。
てなわけで、今回の旅は おしまいです。
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